M-1についていけない
M-1をちゃんと観たのは数年ぶりでした。
と言っても、わからないお笑いが多過ぎて…^^;
「観た」よりも「最初から最後までテレビつけてた」が正解かもしれません。
私が衰えているんだろうな⤵︎
しゃべりが速すぎて聴き取れず、展開がよくわからなくなって、解釈するのに間があいてしまったりするのです。
関西人なのにお恥ずかしい限りです。
隣で普通にウケてる父母を見て、やっぱりこの人達には勝てない…^^;と実感しました。
2010年まではついて行けていた気がします。
審査員席の皆さんの方が私の好みなんよね⤴︎と思いながら講評を楽しみました。
あれこれ済ませて休憩中の今、やっぱり今年の年末は何かが違うと実感しています。
平和過ぎておかしい…
イレギュラーなことが勃発するのが当たり前なのに、何事もなく流れていて不気味です^^;
忙しいのは忙しい繁忙期なのですが、通常業務はやれば終わるので気楽なものです。
私は仕事に逃げているんだろうな。
「仕事してるから」を免罪符にして、家事を適当にしてごまかしています。
面倒な考えごとがあっても、「仕事仕事」と脳内順位を変えて後回しにしがちです。
娘が、ある施設での実習後グループミーティングの話しをしてくれまして。
そこに入院する人たちへの解決法は?みたいなテーマだったようです。
「希望を持つ」「承認欲求を満たす」などの前向きな意見の出る中、娘は「終わりがある事を自覚する」と発言したそう。
考えても仕方ない。
100年後にはすべて終わってる。
調子の悪い時、私がよく言ったそうです。
絶不調の時は何も聞こえないし、取り入れる気力もないので、とことん沈むしかなくて。
100年なんて果てしない話しよりも、今の今なんだってば⤵︎とヘコむ一方で。
毎日しないといけないことをして、生活に流されて時間を過ごしていると、何か気を引くものが見える時があるそうです。
そこが1つの転機になるかも?って。
良い事には終わりがあるから、今を楽しむ。
悪い事にも終わりがあるから、今は苦しみ過ぎない。
すごく極端な考え方だけど、教授がものすごく共感してくれて、「苦しい時間を知ってるんやね」って。
特効薬のない病気で、解決法も人それぞれ。
選択肢がたくさんあると気づいただけでも、今ではずいぶんな成長だと思えます。
「嬉しくて買ってしもた♡」って、1本買いのふとっぱらなお土産。
元気になると、承認欲求が満たされる喜びも感じるのね。
話しがとっ散らかってしまいました^^;
とりあえず不安の先取りはせずに、今やれることをちゃんとやろう。
明日急に、私が終わることがあるかもしれないんだから、後回しにしていい悩み事とは緩く付き合おう。
と言いながらもあれもこれもと準備してしまう、やっかいな性格なんですよね。
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